深作 智行  Tomoyuki FUKASAKU
- 公認会計士(1997年登録)
- 税理士(1997年登録)
- 経済産業省認定経営革新等支援機関
- 1968年生まれ
- 埼玉県出身
略歴
- 1991年 早大政経学部政治学科卒業 銀行を3ヶ月で退職し受験生活
- 1993年 公認会計士二次試験合格(受験2回)監査法人へ
- 1997年 公認会計士三次試験合格(受験1回) 税理士事務所へ
- 1999年 コンサルティング会社へ
- 2001年 独立
人物
- ユーモア精神を重んじ常にウケ狙いをしています。
- 求められないかぎり職業を名乗ることはなく仕事の話も一切しません。
- どんな年下であってもよほど親しくならないかぎり丁寧語で話します。年上や先輩にはどんなに親しくなっても常に敬語で話します。よってタメ口で話すのはごく一部の人だけです。
- 聞かれてもいないのに昔話、求められてもいないのに説教話、「忙しいけど〇〇してやった」的な恩着せがましい言動を強く強く戒めております。
- 両利きで、字はどちらかといえば右、絵はどちらかといえば左です。どちらの方向にむかっても字を書くことができます。
- とにかく数学がダメですが、歴史、とりわけ日本史が得意です。
- 国内3,000m峰で未踏なのは、富士山、御嶽山、農鳥岳のみです。他方、PADIアシスタントインストラクターと潜水士の資格を持つダイバーです。
- MT車と軽自動車での長距離運転が好きで、燃費の良い運転のポイントはいかにムダな減速をしないかであり、そのために絶えず周囲を瞬視して近未来を予測しています。自動運転は今のところ助手席に乗れば済む話だと思ってます。
- 「ヒトである前にドーブツであり、ドーブツであるかぎり必ず老いて死ぬ」「不平等な世の中でもあらゆるヒトに1日24時間が平等に与えられている」あらゆる決断をここから出発しています。
執筆活動
昔の上司が言ってました。「仕事ができなくてクライアントから来るなと言われた人間が本を書くんだよ。現場で忙しい人間はそんなヒマないから」
それはともかくとしまして、単発ではなく継続的に執筆に参加させていただいているのは次のとおりです(2021年2月現在)。
- 「わかりやすい農地をめぐる法律相談(新日本法規出版)」2003年~
- 「問答式遺産相続の実務(新日本法規出版)」2012年~
- 「問答式マンションの法律実務(新日本法規出版)」2015年~
- 「事例で見る会社経理のチェックポイント(新日本法規出版)」2016年~
職業観
学生時代は資格試験のお勉強どころか4年間まったくといっていいほど勉強しませんでした。資格の受験勉強をしている人も周囲にいましたが、遊んでいても許される二度と戻らない学生時代なのに合格が不確実な受験勉強をしているのが当時まったく理解できませんでした。今も学生時代に勉強しておけばよかったとは1ミリも思いません。
もともと「人生自分の思いどおりにはいかない」と冷めてまして、それならば給料が高そうだからと安易な理由で銀行に就職しましたが、すぐ「社会人人生はいかに自分の能力や努力では及ばない要因に翻弄されるか」確信しました。
そこで「何の仕事がしたいか」よりも、失敗も含め自分の意志で主体的に生きられる可能性が高いのは何か考えたところ、当時は短絡的に資格かなと判断してしまいました。 自分がその職業に向いているかなど一切関係なし、世の中わかりやすさと説得力が重要と思いました。そういえば進学ももっぱら偏差値のみで決めてました。
いつまでもおのれの夢だけを追求し自分の実力を見極められないのは恥という価値観を選択して最長2年しか勉強しないことに決めたため、人並み以下の数学の学力にもかかわらず会計士試験を選択してしまいました。受験に失敗しても簿記の知識があれば社会復帰しやすいかもという打算もありました。合格には巡り合わせもあるため、年1回しかない機会に真剣に合格を狙うため3ヶ月で退職しました(にもかかわらず翌年不合格)。
こんな体たらくですから、正直いまだに職業選択を誤ったと思ってます。
ただ、いちおうプロの端くれなので、仕事がつまるとかつまらないとかでスタンスを変えるのはホンモノのプロとはいえないと思ってます。
「こういう人間になりたい」「こういう人間でありたい」などの意識高い系とは逆の、若い頃から常々「絶対にこんな人間のようにならないぞ!」と誓い日々実践しているうちに、自然に方向性が定まっていった気がします。