( 1 )勉強しようと選択する意味
いろいろな価値観があるので、どれがよくてどれがよくないとは断定できませんが、人生が一度しかない点や二度と時間は戻ってこない点を重視しますと、やはり、いったん受験しようと選択したのなら早めに合格するにこしたことはないのではないかと思われます。
トレードオフとは
受験勉強というのは、何かしらの試験に合格するために勉強をしているわけです。
ところで、人生は一度しかなく、今日という一日も二度と戻ってきません。悲しいかな今こうしているうちもバンバン死に近づいてます。
さて、よっぽど天才でないかぎり、複数のことを同時にこなすことは不可能です。 困難なことに当たろうとすればやろうとするほど、他のことを同時にすることは難しいです。 もしできるとしたら、よほど自分のポテンシャルが高いのか、あるいは、やっていることのレベルがしょせんその程度なのかもしれません。
ということは、何か困難なことをやろうとすれば、他のことは犠牲(中途半端)にしなければならないことになります。 他のことをやっていたら得られるであろう効用(喜びみたいなものです。)を犠牲にしているということになります。
この犠牲は「機会費用」のようなものでしょう。
たとえば、仕事で残業したために、飲み会やデートができない場合、この飲み会やデートが機会費用ということになります。 この場合、飲み会やデートをしていたら得られたであろう効用を犠牲にして残業をしていることになります。この犠牲にされた効用がおカネで測定できるとしたら、このおカネを超えるだけの残業手当がもらえないとしたら短期的にはソンしていることになります。
もっとも、短期的には残業手当でカバーできなかった損失も、その残業手当によって上司に認められて昇給したり昇格したら、長期的にはトクしていることになります。
でも、人生っておカネで測れない価値もあります。残業の内容が嫌なものであればあるほど心理的な損失はますばかりです。もし飲み会に出ていたら新たな運命の出逢いがあったかもしれないですし、デートをしていたらやんごとない告白があったかもしれないのです。
なにより、一度きりの人生における時間というものもあります。若いときにしかできないこと、おっさんやおばさんになってからもできることがあります。「若いうちはやりたいことなんでもできるのさ」という歌もありました。 おカネではなく、実はこのことがもっとも犠牲になるものではないでしょうか。
脱線気味になったので巻き戻しますと、試験勉強するということは、少なくとも勉強以外のことで過ごしていたら得られたであろう効用が犠牲(中途半端)になっているのです。
難しいと思われることに、ツラい勉強それ自体が目的だったり、ツラい勉強それ自体が大好きだと、苦痛などはまったく感じないため、勉強時間をほかのことにあてていたら得られたであろう効用が犠牲になっていることをあまり感じないことがあります。
逆に、ものすごくストイックな決意をしていると、迷うことを恐れようとして、そういう犠牲を直視できないことになります。
なるほど、考えようによっては人生とは一生勉強であり、勉強によって得られるおカネ以外の価値、価値観の広がりとかは人生を豊かにしてくれるはずです。ただ、受験勉強、とりわけ難関な試験のための受験勉強という極めて特殊なものは、浪花節的なものは別として、受験に失敗すると、成功した場合と比べるとそれまでの時間やエネルギーの犠牲ははかりしれず、しかも試験が年 1 回で次回もチャレンジするとすると、追加的に 1 年間に投入する時間やエネルギーも必要ということになり、ここでほかのことに時間を費やしていたら得られるであろう効用の犠牲は計り知れません。
いろいろな価値観があるので、どれがよくてどれがよくないとは断定できませんが、人生が一度しかない点や二度と時間は戻ってこない点を重視しますと、やはり、いったん受験しようと選択したのなら早めに合格するにこしたことはないのではないかと思われます。
また、トレードオフを上手に意識することで、より集中できたり、苦しいことを乗り切れるかもしれません。
またもや若干脱線いたします。
たしかに、試験場では誰のサポートもありません。カンニングしないかぎり。しかし、受験勉強では家族はじめ多くの人のサポートがあるわけです。家族だってほかに時間を使っていたら得られたであろう効用を犠牲にしているわけです。 自分だけがんばってるという気分になりがちですが、がんばれる環境があるためには、誰かの人生の時間を犠牲にしているかもしれないのです。
( つづく )