( 3 )ストレスと前向きに向き合うヒント

ドライブにストレスはつきものです。

しかし、ストレスとの向き合い方を工夫することで、より楽しい日常生活を送るために応用できるのです。

具体的には、ストレスをやわらかく受け止め、ストレスをさっさと流し、ストレスを貯め込める余裕を持つことです。

ストレスは絶えず起きるもの

艱難辛苦の果てに悟りの境地に達したとか、あるいは、すさまじい鈍感力を会得すれば可能かもしれませんが、およそストレスを感じないことは不可能だと思います。

だとすれば、ストレスと向き合うためには、次の点が重要だと思われます。

  • ストレスをやわらかく受け止める
  • ストレスをさっさと流す
  • ストレスを貯め込める余裕を持つ

ストレスをやわらかく受け止める

道路上のドライバーひとりひとりが、クルマを運転する目的が違ううえに、性別、年齢、運転技術、運転経験、さらにはその時々の気分もさまざまです。しかも、近所のドライブでもないかぎりほぼ間違いなく一期一会です。

価値観が似ている人との社会的接触であればストレスはあまり感じないのですが、自分と異なるドライバーを排除することは不可能です。

しかも、コトバによるコミュニケーションは不可能です。周囲に自分の意思を的確に伝えたり、周囲をうまく啓蒙しようと努力しても、それを発揮する場は極めて限定されます(せいぜいウィンカーやブレーキランプを出すタイミングなど)。

つまり、道路上では、聖人君子でもないかぎり、誰もが多かれ少なかれストレスを感じていることになります。

ストレスを感じないことは不可能だとすれば、自分の思うとおりにならないことにストレスを感じないようにする努力よりも、そもそも周囲は思い通りにはいかないのが当たり前と考える努力のほうが、すくなくとも柔らかく受け止められるのかもしれません。

つまり、キモチを切り替えて「そもそも自分の思うようにいくわけがない」と割り切って、むしろ、どれだけ周囲の行動や意図を予測できるか、その予測の精度を高めるために場数を踏み蓄積できるかが重要だと思われます。

これは「相手(周囲)の立場になって考える」というかっこよい道徳的なものでななく、自分と同乗者を守るために重要ということになりますし、それは日常生活にも悪くない影響を与えると思われます。

具体的には、周囲のクルマの動きから、近未来の動きを予測するのです。「たぶんウィンカー出して割り込んでくるな」「たぶんブレーキ踏むな」などです。

周囲を予測できれば、それだけトラブルを回避できるのです。

ストレスをさっさと流す

ストレスを感じないことが不可能ならば、ストレスをなるべく貯め込まずすぐに流せることが必要です。

ストレスを感じてイラッとするのが避けられないとすれば、そのキモチをいかにすぐに穏やかにできるかが重要です。野菜から先に食べれば血糖値の急上昇はなくなるでしょうが、その逆です。

イライラして渋滞が解消するのならイライラしてもいいですけど、イライラしたところで前方のクルマがすべてなくなるかというと決してそんなことないですよね。

いつまでもイライラしていても、意味がないばかりでなく、それはせっかくの楽しいドライブの時間がもったいないです。

さっさとキモチを切り替えていきましょう。

このコントロールは、日常生活でも極めて重要だと思います。

つまり、ドライブでのイライラを逆に日常生活でのメンタルトレーニングの場にしてしまうのです

ストレスを貯め込める余裕を持つ

ストレスは避けられませんし、受け止めても流しても、やはり蓄積されていきます。それを貯め込めるだけの余裕が、フィジカル面でもメンタル面でもテクニック面でも必要だと思われます。

フィジカル面

体力があることでドライブに支障が及ぶとすれば、過信して無謀なスケジュールをやってしまう(しまおうとする)ことくらいで、それさえなければ、体力があることは、あらゆる面にいい影響を与えるはずです。

体力があれば、休憩をあまりしなくて済むためにドライブのスケジュールにも余裕が出ます。

体力があれば、もろもろのストレスも受け止められます。さらにいえば、自分の体力や健康に自信をつけることで、価値観の違う他人を受け入れる余裕がより出てくるのではないでしょうか。

メンタル面

免許取り立てのとき、クルマの操縦それ自体にアタマがいっぱいで、安全確認もおぼつかなく、周囲に配慮したり動きを予測したりする余裕などまったくなかったはずです。 それが場数を踏んでいるうちに、どんどん余裕が出てきます。ムダな動きが減り、今までとても気が回らなかったところまで回るようになります。

ただ、安全確認や状況判断、それに対応する操縦は、クルマを自分で運転することによってしか身に付きません。

若者に「経験が大事だ」と上から目線で説くオトナは少なくありませんが、そんなオトナに激しい嫌悪感を抱く私でも、この点は経験が大事だと思います。

たしかに、時間を重ね運転時間を増やせば「経験」は増えます。しかし、その経験を貪欲に身に付け今後に活かしていく、活かしていこうと努力することは、だたボーッと漫然と時間だけ過ごしていることに比べたら雲泥の差となっているはずです。

このことは、日常生活でも妥当すると思われます。

テクニック面

さまざまな価値観がありますが、少なくとも「体力はないよりあったほうがいい」「健康でないより健康であるほうがいい」ことは普遍的と思われますが、それと同様に「運転がうまいにこしたとはない」ことも普遍的だと思われます。

なぜなら、事故を起こしたり、事故に巻き込まれてしまったら、自分や同乗者の一生を狂わせかねないからです。

事故を避ける、または、事故が避けられないときのダメージを最小限にとどめるのは最終的には判断力の問題だと思いますが、判断どおりにクルマをとっさに動かせなければなりません。

たしかに、事故は自分だけが原因で起こるわけではありませんし、過失がまったくなくても事故に遭ってしまうこともあります。

相手が100%悪かったとしても、ケガをしてしまったりイヤな思いをしたら意味がありません。

では、「クルマの運転がうまい」とはどういう意味でしょう。

いろいろ意味がありますが、ここでの運転がうまいとは、速い速度でワインディングを駆けぬけるとか、どこそこで何km/h出したとか(正確にはこれはクルマの性能の問題)ではありません。

人馬一体感と申しましょうか、こう操作したらクルマはどう動くのかをしっかりつかむことです。

一定のドライビングテクニックを身につけることで(過度は禁物ですが)自信を持って運転できますし、疲労も軽減し、メンタル面での余裕も生まれるともいます。

ところで、逆説的ではありますが・・・

常に余裕をもっていられるようにするためには、常に自分の限界を高める(維持する)ハードな努力が必要だと思います

( つづく )